少し前に愛犬が亡くなり、家族で悲しみに暮れていた。どんな時もそばにいて愛してくれたので寂しい。と同時に、病院選びや獣医選び、セカンドオピニオンを聞く大切さを、後悔を通して学んだ。
突然訪れた犬の余命宣告、夫婦で意見がぶつかる
犬が亡くなった原因は、脳腫瘍だった。獣医さんから診断を受けた時、すぐに治療をするかしないか決めなくてはいけなかった。私も夫も、突然訪れた犬を失うかもしれない恐怖と悲しみから、冷静にしていたつもりの話し合いが形ないものに壊れていった。
夫は「今でも十分苦しんでいるのに、さらに苦しい治療を受けさせるなんて犬のストレスになるからやらせたくない。薬で症状を抑えながら自宅で看病したい」
私は「治療を受けさせて痛みをとってから、少しでも元気な姿で残された時間を自宅で過ごさせてやりたい」
意思表示ができない相手だからこそ、こちらの気持ち次第で変わる。夫婦で意見が対立して喧嘩までした。
日本は延命が愛情、アメリカは安楽死が愛情
いろいろ調べていくうちに、犬の安楽死について日本とアメリカで捉え方の違いがあることを知った。
日本はとにかく延命延命で、犬がもう寝たきりで意識がはっきりしていなくても自然に死を迎えるまで看病してあげることが愛情。
アメリカはそうなる前に、痛みが悪化する前に安楽死させることが愛情。
その家族によって出す答えは様々だと思うが、全体的には国でこのような違いがあるそうだ。そのため、日本の獣医さんは安楽死させる経験が他国に比べて少ないという。
楽になりたいと思ったら、必ずあなたに伝えてくるから
夫に「犬が苦しんでるのに生かすなんてかわいそうだよ。犬の立場になって考えようよ」と泣きながら言われた時、私も泣いた。お互い、愛する家族への愛し方が違う。
私は動物に死にたい願望があるとは思えず、獣医さんに「犬は苦しかったら死にたいと願うんですか?私は願わないと思うんです。食欲があるまで、生きたいって願う証拠だと思うんです」と聞いた。もう涙でぐちゃぐちゃ。
獣医さんにはこう返された。「動物は死にたいとは願わないけれど、痛みや苦しみがなくなって欲しいとは思っている。だから楽になりたいと思ったら、必ずあなたに伝えてくるから。その時を感じとってね」
続けて言われた。「これは私だったらどうするかの話ね。もし私の愛するペットがとても苦しんでいるのなら、私だったら生かしておけない」
心に重石が落ちてきた。どうしてみんな安楽死を選ぶの?ひどいよ。
でも自分の心の奥底の不安も感じてもいた。
結局は、犬の死をまだ受け入れられず、犬がいなくなると「私が」辛いからだと思う。
獣医さんにのしかかる、家族の心のケア
動物病院は動物の治療をする場所であり、家族の心のケアまではできない。
少し前に読んだ記事「獣医にのしかかる、家族の心のケア」を思い出して、病院側もこんなに泣きじゃくる私を相手に大変だろうと涙を止めようとしてはいた。しかし、どうしても涙なしではいられず、獣医さんの説明を落ち着いて聞くことも、こちらから話すことも難しかった。
カウンセリングに繋がることも考えていたら、動物病院とカウンセラーはすでに繋がっているらしく、何人かの連絡先やペットロスの会を紹介してくれた。
私たちが出した答え、そして予想外の結果に
放射線治療で腫瘍を小さくすれば、数ヶ月〜1年は病気になる前のように元気に過ごせる確率が高いということで治療を決めた。それが家族でたくさん話し合った結果の、犬のQOLだった。
でも数少ない放射線治療の病院が満員で、まず最初の診察にたどり着けるまで、1ヶ月以上待つことになった。診察日を早めてもらえないか交渉したが、キャンセル待ちが多すぎてできなかった。その間に犬はどんどん弱っていった。とても苦しそうでかわいそうで、したくない決断をしなければいけないと思い始めた。安楽死を決めた。
犬が治らない病気になった時、病気をそのまま受け入れて介護するか、治療を受けさせながら介護するかの2通りから決断することになる。でもまさか、治療をすぐに受けさせたいのに病院が満員で受けさせられない事態になってしまうとは予想外だった。だから後悔が深く残っている。
病院選び、獣医選び、セカンドオピニオン
私たちは、犬の初期症状を見逃していたわけではなく、半年前から様子がおかしいと思うたびに病院に連れていっていた。今思えば、獣医さんが診断を誤り続けていた。セカンドオピニオンを聞かなかったことを悔やんだ。手遅れになり重症化してからやっと緊急病院を紹介され、脳の病気がわかった。
田舎の牧場の中にある小さな動物病院で気に入っていたのだが、今回の件でもう少し都心で設備が整ってる大きな動物病院に変える決意をした。うちにはもう一匹シニア犬がいるからだ。大切な命、同じ後悔は繰り返したくない。
自分のありのままをただ愛してくれた犬
犬は庭に埋葬した。数日後、供えていたリンゴがなくなっていた。そのまた数日後は、半分かじられたリンゴがそばに転がっていた。「リンゴ食べたんだね。大好きだったもんね!」と夫と笑い合った。笑ったのは久しぶりだった。
リンゴを食べたのはリスかあらいぐまだとは思うけれど、こうやって楽しかった思い出を語りながら笑顔の瞬間が増えていけばいいなと思っている。
自分のありのままをただ愛してくれることは犬から深く教わった。動物の愛情の真っ直ぐさは、いろいろあった私たち夫婦、人間の心に響き続けている。
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