皆さんの声

自分を大切にするということ(雨音さん編)

旦那のことを考えるうち、ふと予感のように思ったことがある。旦那がアスペルガーかどうかは、最終的に関係無くなるんじゃないか?って。

私が旦那のアスペルガーを疑い始めたのは1年ほど前。長男の不登校がきっかけだった。なぜ旦那は自分の不安を潰すことばかりに執心して、長男の気持ちを無視していることに気づけないんだろう?

この不思議な違和感は、今まで旦那と過ごしてきた過去を振り返ると、常につきまとっていた。どうして私はこの違和感から、目を背けて来たんだろう?辛い子供時代を経験している旦那には、精神的な歪みがあるんじゃないか?本やwebで調べ、たどり着いたのが、アスペルガー症候群だった。

旦那がアスペルガーかどうかは関係ない

もともと、威圧的な旦那の顔色を窺い服従するような、こんな夫婦関係はおかしいと思ってはいた。しかし同時に、妻とは夫の3歩後ろを歩くような、そういうものだという私の固定観念もあった。当時存命だった母に話しても「あなたは気が強いから夫を立てられないんだろう」と言われた。

理解ってなに?共感てなに?

ずっと一人ぼっちで真っ暗な沼に沈んでいくような気持ちだった。自分の陥ってる状態が、カサンドラ症候群と呼ばれていることを知った。子供が笑っても、笑えなかった。こんな状態が、子供に良いわけがない。

この息が詰まるような家族関係から脱出する最短ルートを考えた。

#1.てっとり早く離婚。もう会わない。旦那を遠ざけることでカサンドラを回避する

てっとり早くとは言うものの、そう簡単にカタがつくとは思えない。

#2.旦那にASDの診断を受けてもらい、確定されたとしてさらに特性を改善させる

望ましくはあるけど、プライドが高く口も達者な旦那相手に、どう考えても難関

#3.私自身が過去を振り返り、向き合って受け入れる

不思議なことに、この方法に旦那がアスペルガーかどうかは関係ない。自分だけでもできる。

私は迷わず#3を選んだ。そして、カウンセラーさんを頼ってみることにした。

私は幼少期、親に構われない子供だった

カウンセリングが始まった。私はいつも時間いっぱい詰め込むように、自分を取り巻く状況すべてを話した。本当に隠すことなく何もかも。

話の中からカウンセラーさんが、我が家に潜む機能不全な部分を見つけるのだと思っていた。でもカウンセラーさんはほとんど相づちを打つだけ。

だけどカウンセリングの回数を重ねるうち、話した自分の言葉・読んだ本・webで知ったことを混ぜて、私は様々なことに「気づき」始めた。旦那の言動を恐れ、気にして行動してるのは、自分自身だということに。

自分はどんなふうに育って、過去の経験からどんな傷を心に抱えているのか。その傷は、外部からの言動を受けた時、自分のとる言動に、どんな影響を与えているのか。または、起こった現象に対して、自分がどういう「傾向」の意味づけをしてるのかを知る。自分の過去を振り返る必要があるのは、このためなんだろう。

私は幼少期、親に構われない子供だった。学校で、いじめも受けていた。いつの間にか私は、相手の要求を受け入れる事で、自分の価値を見出していた。ひどい時はみずからその要求のハードルを上げて。

嫌なこと、苦手でうまく出来ない事でも、要求する相手を好きであればあるほど、私はNOといえなかった。

嫌われるのが怖くて。「あなた」に喜んでほしくて…

「私なんかを必要としてくれる。私なんかと一緒に居てくれる」

歪んでいたのは、私が自分を自分で貶める考え方だった。

自分はどうしたいのか

ありのままの自分を、自分が肯定出来ず、無理をしてた。出来ない自分じゃ嫌われると、一生懸命相手の顔色を伺っていた。出来ないからといって、嫌うかどうかは相手次第なのに。相手がどう思うかなんて、自分ではどうにも出来ない事なのに。

旦那に怒られるのが嫌で、私はそれを回避するために、たとえ自分の意志に反した事でも言いなりになってきた。これを「旦那が怒るから言うとおりにする」と考えると、自分の行動は旦那由来のように聞こえる。たとえ旦那が怒るかもしれなくても、自分には自分の意志を通すことが出来たはず。もしかしたら旦那は怒らない可能性だってあった。

相手のせいで、相手のために、とか言いながら、本当は自分が勝手に想定した事に対して選んだ言動である事から目を逸らす…そんなことしてたら、いつまで経っても本当の自分には気づけない。

私は自分が被害者になることで、自分で旦那から3歩下がることで、自分を弱者の立場に無意識に置いていたのかもしれない。どれだけ相手の顔色を伺って行動しようと、無意味なことだったんだと思うようになった。相手がどう思うかなんて、自分にはどうすることもできない。

「自分はどうしたいのか」

これが言動の軸を自分に置くってことじゃないだろうか?

多分もう私は、カサンドラじゃ無いと思う

相手がありのままの自分を受け入れるかどうかは判らない。でもまず自分が、出来なくても、下手でも、ありのままの自分を受け入れる。外へ向けては、どこかに「嫌われる勇気」をもって、自分を偽らず接する。

そしてあえて相手の要求をのむとき、それは「自分も」したかったから・納得・妥協出来たから~という自覚を持つこと。それが「対等な付き合い」というものじゃないだろうか?夫婦とは対等であるのが大前提なら、自分の意見を主張して何の不都合があるだろう?

最近の雨音は変わったと旦那は言う。

話が噛み合わなくなったと。

でも長女には、明るく表情や感情もわかりやすくなったと言われた。

自分で作った自分の檻に気づき、自分の力で脱出したと思ってる。

多分もう私は、カサンドラじゃ無いと思う。

もう俺はどうしていいかわからない

私が辿ってきたこの過程を、私は旦那にも知ってほしいと思った。何度も何度もかみ合わない話をした。そんなことが半年以上続く中、私にも改善点があると気づかされたこともある。フォロワーさんの言葉に我に返った。

「旦那さんの変わるスピードは、雨音さんよりゆっくりかもしれないよ」

押し付けられると、理解より抵抗感を感じるもの。私が自分で気づいたように、旦那がこの過程を辿るためには「自分で気づくこと」が必要不可欠なんじゃないか?って。そう考え直してから、自分の考えは揺るがないという態度は変えないものの、必要以上にそのことについて話すことは控えた。

一進一退を繰り返すような関係が1年近くになる。そのころには次女も不登校になっていた。案の定、旦那は学校へ行かない子供に怒り、時に怒鳴り、庇う私とぶつかった。

「なぜこの家では当たり前のことが出来ないんだ!」

そうしてついに、ある日旦那は言った。

「本当のことを言っていい?もう俺はどうしていいかわからない」

今までの経験からすると、旦那は究極に凹んだ時にだけ、ほんの数ミリ心の扉を開ける。おそらく子供の不登校に効果があるだろうと実行したことが、どれ一つ結実しないことに納得できなかったんだと思う。

ここからが私のターンだ。

私は自分の不登校に対する考えを、ひいてはそれが起こる原因となったかもしれない旦那の圧政や自分の辿って来た過程を、持論を交えて展開した。

「あなたはアスペルガー症候群かもしれない」と、再度伝えた。

私はなぜ、相手の要求を聞くことを自分の存在価値の確かめ方にしたのか

旦那が理解するかどうかは問題ではない。なぜなら、話すことで情報としてでも、私のような考えがあることを知ることが出来るから。隙間に打ち込む小さな楔が、いつか岩を割る亀裂を生むかもしれない。でも、急いではいけない。旦那には旦那のペースがある。この先どれぐらい生きられるかを考えて、生き急ぐのはあくまで私の事情。それを理由に旦那を急かしては、得られるかもしれない理解も気づきも、逃してしまうかもしれない。

長男の不登校から1年半。旦那に少しだけ優しい気持ちで接することが出来るようになった気がする。そして書いていて思い出した。私は、旦那が怖いばかりで言うことをきいていた訳じゃない。私は彼を喜ばせたかったんだ。すっかり忘れてた!私の親は、恐れなければならないような人ではなかった。

私はなぜ、相手の要求を聞くことを、自分の存在価値の確かめ方にしたのか。これはつまるところ、愛する対象に振り向いて、自分を見て、自分を認めてほしいという承認欲求に起源するものではないのか?それこそが、私を見てくれなかった親に、私が一番求めていたこと。

これが私のアダルトチルドレンの正体。

自分を大切にすること

自分の心ってまるで、透明なドームの中の風で舞う三角くじ。常に何かが舞ってるけど、捕まえようと思ってもなかなか捕まえられるものでもなく、でも捕まえて開いてみないと判らない。

結局私は「旦那がASDのせいで!」って思ったことはほとんど無かった。

私の話を1年以上にわたり聞く中で、カウンセラーさんがふと「旦那さんはおそらくASDですね」と漏らしたことがある。

うん、やっぱそうだよね。だけどもういいんだ。

心の深いところに閉じ込められ、傷ついたまま泣いている子供の私を見つけてあげる。なぜ泣いているの?どうしてほしいの?自分のこころの声をきく。自分を大切にすること。全部自分じゃないと出来ないこと。自分一人でやること。

あらためて思う。人は一人なんだなって。

だけどね、時に振り返り待ち、待ってと声をかけたり、辛くない?走りたい?尋ね歩幅を合わせ手をつなぐことは出来る。

そういうことなんじゃないかな?

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