アランの気持ち

結局、発達障害って個性なの?


発達障害は個性である
or
発達障害は個性ではない

子どもが発達障害です。個性だと思います。

夫が発達障害です。個性では済まされない問題があります。

発達障害当事者です。個性や人との違いだと思います。

発達障害当事者です。困り事や生きづらさを障害として受け止めた方が楽です。

個性か個性ではないのか意見が分かれるのは、

  • 発達障害には違いがあるから
  • 人の捉え方には違いがあるから
  • 生きている社会には違いがあるから

発達障害当事者の場合、個性として捉えた方が生きやすい人もいるだろうし、障害として捉えた方が生きやすい人もいるだろう。その人の思いたいようにどちらでもいいと思う。

人それぞれ。

しかし、常識の枠が狭すぎて他人の個性や違いまでを受け入れられない人の場合は、そういう思考を改善していく必要があるだろう。

個性を受け入れられないのも、その人の個性。

逆に、家庭や社会に深刻な問題を招いているのに周りの意見を聞き入れずに「個性だ」と言い張る人は、そういう思考を改善していく必要があるだろう。

何でも個性だと片付けてしまうのも、その人の個性。

人それぞれ。

性格や人との関わり方に明らかな問題がある場合は、育った環境や両親からの影響もある。何でもかんでも、その人の発達障害による特性だとは限らない。その人ひとりで生み出した何かではない。

自分という人間の中身は、人生を共にしてきた身近な人との関わり合いにより、完成していった部分が大きい。

大人になってからは芯の部分は変わらないかもしれないけれど、その周りにくっついている身の部分は変化していける。現在進行形でもある。

発達障害は個性である部分もあり、障害の部分もある

発達障害は個性である部分もあり、障害の部分もあるだろう。

しかし、もともと個性を伸ばす場がない日本の平均点教育を受けた後で、個性だ何だと発言するのも説得力に欠けてしまう。

そもそも、発達障害ではない人の個性さえも認めらていないのだから。

本当は素晴らしい個性の原石なのに、それに気づいて肯定してくれる大人がいないために、障害と見なされたまま終わってしまう。必要以上に、障害だと思い込まされてしまう。

本当は個性だと言いたいけれど、それを認めない周りの目を気にして「障害」と弱々しく言う人もいるだろう。

違う国で育ったら、堂々と「個性だ」と胸を張って生きているかもしれない。

環境が変われば、日本では障害として見なされていたことや、出来なくて怒られていたことが、海外ではそんなに大した問題でもなくて個性として捉えられ、逆に褒められることだってあるだろう。

日本のような単一民族国家の中で、知識の詰め込み教育を受けてきた場合と、アメリカのような多民族国家の中で、思考教育(一つの正解を求めることが目的ではない)を受けてきた場合、確実に、他人の個性や違いを受け入れる心の大きさに影響が出てしまう。

自分の個性や違いの捉え方にも影響が出てしまう。

というのは私の考え。

ここからは夫の考え。

僕は、発達障害は個性や違いだと考えています。

まず「障害」という名前がふさわしくないです。誰かを障害者として扱う人は、その障害者が自分よりも劣っている、自分が出来ることがその人は出来ない人、というように下に見てしまう傾向があるからです。

僕はそんな風に扱われたくないです。自分がアスペルガー症候群だということを誇りに思っているからです。アスペルガー症候群ではなかったら、ここまでのキャリアは築けていなかったとも思っています。誰かより苦手なことはあるけれど、誰よりも優れていることがあります。人それぞれの違いです。

そして、自分を障害者だと思いすぎてしまう人は、被害者意識が強くなってしまう傾向があると思います。それは、その人が自分のプラス面ではなく、周りを基準とした場合のマイナス面を中心に見られてきたために、周りにそう思わされて自信を失ってきたケースもあるでしょう。

障害には様々な違いがあるので、常に周りからの支えが必要な人もいます。それでも、何かが欠けているからといって、不完全な人間だということではありません。劣っていると扱って悲しむより、好きなことや得意なことを見つけて伸ばしてあげられる機会を与えた方が、お互いの心が幸せになれると思います。どんな時でも、ポジティブな面を見てあげれるようにした方が幸せになれます。

みんな、同じように愛されるために生まれてきたのですから。

障害を持っていても毎日が楽しい人もいるし、健常者として生まれても毎日が不幸だと思っている人はいるでしょう。心の在り方で生き方はだいぶ違ってきます。

他人を自分の基準でジャッジしない、自分を他人の基準でジャッジしないようにすれば、みんなが人それぞれの個性や違いを認め合えて生きやすくなると思います。

それでも、他人を自分の基準でジャッジしたり、障害者を劣っていると見下してしまう人はいるでしょう。

そういう人は見た目は健常者であっても、心に障害があると思います。